まえがきにかえて

 

本論集は、仲野先生の遺してくださったものを何とかまとまったものとして残したいという思いから作成されました。私は直接仲野先生から指導を頂いた最後のゼミ生の一人になってしまいました。また、仲野先生を知る学生のほとんどが大学を卒業しそれぞれの道を歩んでいます。仲野先生が亡くなられてから、最初に仲野先生の書かれたものをまとめてはどうかと言ってくださったのは、鳥取大学の家中先生でした。その後、仲野先生の後任で鳥取大学に着任された稲津秀樹先生にお声がけいただき、追悼の意味も込めて仲野先生の文章の一部ではありますが、まとめるにいたりました。

 また、今まで、在日朝鮮学生美術展(以下、学美)について、知りたい、学びたいと考え始めた方に初めに読んでもらいたい資料集のようなものがありませんでした。201610月に仲野先生がなくなられてから早5年が過ぎました。この間も、学美に参加する大学生や一般の方々もいて、その方々にももっと学美について知ってもらいたいという気持ちがありました。特に、学美山陰展は現在朝鮮学校がない地域で日本人スタッフが中心となって展示が行われており、普段はなじみのない朝鮮学校や学美の存在を知る方法はあまりありません。こうした、学びのためにも本資料集が役に立てばとてもうれしいと思っています。

 

本文に入る前に、僭越ながら私が学生時代に教わった仲野先生の問題関心に少し触れたいと思います。学生時代、私は仲野ゼミに所属し、仲野先生の後にくっついて行って、学美の世界にのめりこんでいってしまった一人です。初めて学美に訪れた時は、作品の感想もあるのですが、なによりも仲野先生が本当にイキイキと作品と対話し、朝鮮学校の先生や学生たちと話をしていたことが印象的でした。とにかく人と出会い、人と話すことを大事に、そして楽しまれる方でした。それと同時に、誰かと出会う際には自分の立ち位置を常に省みることを忘れない方でした。仲野先生はゼミではフィールドワークを重視され、みんなで同じ場所に出向き、同じもの見ているからこそできる議論があると考えておられました。共通言語を獲得するといえば良いのでしょうか。「あの時の空気感」を共有しているからこそ通じる言葉をとても重要視されていたように思います。そしてその経験をいかに言語化できるのかを考えていらっしゃったはずです。その姿を見ながら私は、フィールドワークの大切さ、自分に翻って考えること、みんなで考えることの大切さを教えていただきました。

私たちは残念なことに仲野先生と一緒に時を過ごすことはできません。しかし、仲野先生の書かれたものから、私たちは「あの時の空気感」を感じ取れるはずです。それ故に、これから朝鮮学校や学美について勉強したいと考える方にとって、これらの文章は示唆に富むものだと思います。

私たちは、なぜ学ぶのでしょうか、なぜ人と出会うのでしょうか、なぜ話を聞くのでしょうか、そしてなぜ表現するのでしょうか。仲野先生的に言えば『「いまここ」を「だれ」と「どう」生きるか』という問いに向き合い続けるためではないでしょうか。これは仲野先生が講義でもよくお話しされていた事でもありました。仲野先生は、朝鮮学校や在日外国人、セクシャルマイノリティやインドネシア社会など社会的な周縁に置かれた人々や社会の中に私たちがこの時代に生きるヒントを見出しておられました。そして、様々な立場で生きる(生きざるをえない)人たちがこの社会に対して持つ祈りに希望を見出しておられました。

私たちは、どのように社会への祈りを自分の人生に織り込んでいくことができるのか。そしていかに私たち自身が社会へ希望を見出すことができるのでしょうか。そして祈りを捧げることができるのでしょうか。仲野先生にとってこの問いに向き合い続けることが、学び続ける動機だったのだと思います。本資料集では、仲野先生が歩んできた様々なテーマから学美にフォーカスしています。これは、仲野先生の思考の足跡のほんの一部にすぎません。ただ、そこには優しく豊かな世界が広がっていると私は信じています。

 

最後に、本資料集の構成を概観します。本資料集には、仲野先生が2009年から2015年にかけて書かれた文章と、それ以降に朝鮮学校の先生方や学美山陰展のメンバーが書いた追悼文、新聞記事や雑誌記事が収録されています。第1部では、仲野先生が学美と出会い衝撃を受けた一つの作品に寄せた短い文章から始まります。「心の空白」という作品に寄せられたこの文章には、仲野先生の考える作品に向き合うことのエッセンスが詰まっています。作品を鏡にして自分自身と対話をする姿はまさに仲野先生らしい姿だと思います。続いて、学美の持つパワーについて仲野先生が初期に考えた文章を収録しました。作品を通じて見えてしまった「空白」に何を埋めるのだろうか。その空白のトンネルを抜けた先に何と出会えるのだろうかとい問いを私たちに投げかけます。

2部では、仲野先生が「朝鮮学校のある風景」に寄稿した文章によって構成されています。「この時代に在日朝鮮学生美術展と出会うということ」はいったいどういう意味があるのだろうか、という問いに対して、学美や朝鮮学校の運動会などのフィールドワークに参加した学生の感想や学美山陰展スタッフの感想をもとに考えています。学美と出会い、自らを省みる中で、これからの学生生活(ないし卒業後の生き方)について考える姿にフォーカスしています。

 第3部は、「仲野誠先生が遺したもの」と題して、仲野先生に向けた関係者の追悼文をメインに構成されています。主に、学美の先生方と山陰展のメンバーから寄せられています。追悼文からは、仲野先生が遺したものを関係者がどのように受け取り、引き継いでいこうとしているのかを考えることができます。一つ一つは、他愛ないエピソードや個人的な思いかもしれません。しかし、こうした「私」個人に対して働きかける力に、私たちはつながれているのかもしれないと思わされます。

 

では、仲野先生は、在日朝鮮学生美術展との出会いを通じて何を見つけようとしたのでしょうか。そして、かかわった人たちに何を遺そうとしたのでしょうか。また、何を遺したのでしょうか。

本資料集に収められた文章が書かれた時代は、失われた20年と言われる日本経済の停滞に伴い、社会的なつながりが希薄化し、新たなつながりの在り方が探られ始めた時代だったと思います。2009年には政権交代が起こり、2011年には東日本大震災及び原発事故が発生し、2015年には日米安保関連法の改正に伴う大きな社会運動がありました。また、この時期は全国的に在日コリアンに対するヘイトスピーチの広がりが社会問題になった時期でもありました。各地で行われる朝鮮学校無償化裁判も学校側の敗訴も続きました。経済格差も拡大し、社会的な分断が顕在化して生活のリアルなところにまで問題が浮き上がってくる時代でした。もちろんここで顕在化した問題はそれ以前から存在し、今もまだ続いている問題であります。

こうした社会状況の中で、学美と出会い、先生方の生徒への愛に出会い、アートを通じて表現される世界に感銘を受け、自分自身の生の在り方や、これからの生き方を考え直すきっかけになる風景が本資料集では描かれています。また、学美についての文章以外にも、朝鮮学校の運動会や学芸会についての文章や朝鮮学校にまつわるイベントへの寄稿分も収録しています。学美を考えることはすなわち朝鮮学校について考えることでもあります。ひいては朝鮮学校を取り巻く日本社会、そして私たちの暮らしについて考えることにつながります。そして学美を考えるためには、朝鮮学校や日本社会全体についても考えなくてはなりません。本論集ではこうした視点から、仲野先生が朝鮮学校について書かれた文章の一部を付録として収録することにしました。付録には、他に関連する雑誌記事や新聞記事を収録しました。

 

本資料集を作成している現在、新型コロナウイルス感染拡大の終息にいまだ目途が立たない状況が続いています。2020年度の学美も開催が見送られるなど、学美にとっても影響が出ています。一方で、新型コロナウイルスによってさまざまな対面活動が制限される中、朝鮮学校の学美の先生方は、HPを改装したり、WEB展覧会を開催したりするなど、今できる活動に力を注いでおられます。

 社会状況はコロナによって一変した面もありますが、在日コリアンや朝鮮学校をめぐる問題は今もなお解決することなく、私たちに問題を突き付けています。私たちは、それでもこの社会で生きていかねばなりません。この資料集を読んでくださっている人それぞれに個別の問題を抱えていると思います。その問題に向き合うヒントをこの資料集を通じて感じてくだされば幸いです。

 

 

2022年3月末日

堺 泰樹 (鳥取大学地域学部卒業生)