2009年12月に行われた第38回学生美術展・神奈川展を見学された、鳥取県在日外国人教育研究会(倉吉)の仲野誠・鳥取大学准教授(地域学部地域政策学科)の寄稿を紹介します。

 

交響する魂

――「おれももうちょっとちゃんと生きよう」という収穫――

 

 

学美のみなさま、ごぶさたしております。鳥取の仲野誠です。

―中略―

この感想も、これまでお送りした文書と同様に印象論の域を出ません。しかし、神奈川でエネルギーあふれるたくましい学生さんたちに直に接したり、美術展を新たな場で改めて拝見することによって、かつて朝鮮大学校での中央審査会や神戸展でわたしが感じた学美および民族学校の顕在的および潜在的な<力>に関する印象が間違っていなかったことを確信する時間となりました。また、新たな視点をも得ることができました。

それでは、うまくまとまりませんが、この度の訪問で感じたことや考えたことを思いつくままに綴らせていただきます。

 

 

◇はじめに――わたしの立ち位置と視点

 

 まず、はじめに、これまでおじゃまさせていただいた朝鮮大学校での中央審査会や神戸展などを拝見した経験も含めて、なぜ私が学美に関心をもつのか(もってしまったのか)について自分なりに振り返ってみたいと思います。それは、おそらく、(誤解を恐れずに申し上げれば)学美で生み出される芸術作品そのものについて深く知りたいとか、その技法や指導法について学びたいというよりは、むしろ、「学美コミュニティ」が創出している「つながり」・「ネットワーク」のあり方や「信頼」の機能というものに深い関心を抱いているからだと自分では思っています(すいません、勝手ながら皆様のつながりのあり方を「学美コミュニティ」と名付けさせていただきました)。

 

 そしてなぜ学美コミュニティの機能を考えることに意味があるのか、というと、それは「わたしたちの社会」のゆくえを考えるための貴重な糧や示唆を内包している「宝の山」にわたしには見えるからです。ここで申し上げている「わたしたち」というのは、「在日社会vs. 日本社会」という単純な二項対立で考えた場合の「日本社会」のことではなく、「在日」も、(いわゆる)「日本人」も含めた、この社会に生きている/どうしたってこの社会に生きなければならない、この社会のありとあらゆるメンバー全員のことです。

 

 これは「みんな仲間だ」とか「みんな同じ人間だ」というような単純なヒューマニズム的発想ではありません(相手ときちんと向き合わない能天気なヒューマニズムやチャリティー的発想は、時には容易に暴力的なものに転化し、危険なものになりうると思っています)。そうではなく、現実的に、この社会は、それぞれ立場の違う、利害関係が異なる、背景の違う、実に多様な人たちから成っている、というごく基本的なところから出発したいということです。そして、さらには、この社会は各成員に対す社会的資源(お金、敬意の払われ方、社会的地位、社会保障など)の配分が実に不平等で、本人の責任では全くないにもかかわらず生きづらさを抱えている人がたくさんいたり、その反面、実は本人がそれほどがんばったわけでもないのに気づいたらあたりまえのように社会的資源をたくさん手にしている人もいる、ということも基本的認識でしょう。つまり、当人にはどうしようもない生まれによる「属性」(例えば、出身地、性別、民族、家柄、出自、社会階層/階級、……)によってその人の社会的位置づけが決まってしまい、そしてそれをわたしたちは「仕方がない」と言い続けてきたのではないか、ということです。

 

もちろん、この社会における「人間の価値」とは、建前上は人の評価は身分による「属性主義」によるものではなく、その人の能力や努力による「能力主義」によるものであることは「常識」になっています。しかし、現実的には、その「能力主義」の根底にはいまだに「属性主義」が根強く横たわっていることは既に論証済みです。つまり、より具体的にいえば、子どもの学力は、その子の家庭の収入、親の学歴(社会学の実証研究で、特に強い影響力をもつと証明されているのは父親よりも母親の学歴)、親の価値観などの属性に大きく影響されることがわかっています(これは社会学でいう「文化資本論」という研究なのですが、この内容を書き出すと延々書いてしまうので、それはやめておきます)。この議論をすると、必ず「貧しくったって能力のある人はいる」という反論があります。それは確かにそうです。経済力がなくても、親が「努力する」ことに価値をおき、それを教えられてきた子どもはがんばれます。反対に、そのような価値を持たない親に育てられた子どもはなかなかがんばれません。このように、「属性主義」というのは、必ずしも経済力だけではなく、親の価値観も重要な要素になります。みんな等しく努力できるわけではなく、「努力する」ということ自体が既に重要な能力のひとつであるということです。

 

 ちょっと話題がずれましたが、以上のことが社会的不正義であることは、もはや議論するまでもなく、既に論証済みのことだとわたしは考えます。しかし、現実的には、この社会においては、建前論的な「能力平等主義」がいまでも一貫して流れており、その根底に脈々と存在する「属性主義」はなかなか見えにくく、不問にされてきたと思うのです。

 

 以上のような「建前平等、実質不平等」が近代民主主義のしかけ(日本だけではなく他の近代国家においても同様)だったのだろうと考えます。そして、それはおそらく、国家レベルでのモノの豊かさを目指すために正当化された論理だったのでしょう。日本の場合は、それは明治国家の軍事主義と産業主義を推進する論理となりました。このモノの豊かさを追求する論理が、戦争を正当化し、植民地主義を正当化しました。当時は戦争も植民地支配も「よきこと」でしたから。やがて戦争は否定される時代になりましたが、実は同じ論理が脈々と生き続け、それは合理主義、進歩主義、拡大的発展主義のような、より「平和的」な論理へと転換され、わたしたちを相変わらず過熱し続け、わたしたちの欲望は拡大し続けたのだと思います。ある人びとからの不平等な構造的な収奪の連続が、いまのわたしたちの国家レベルでの「豊かさ」をつくり出したと思うのです。

 

それは「誰でもがんばれば豊かになれる」というイデオロギーを生み出し、人びとを加熱し、煽り続けた一方で、収奪されつづける人びとの自尊心を傷つけ、拠りどころやコミュニティを破壊し、そして非常に不均衡な豊かさや発展を生んできたのだと思います。かつて「裏日本」と呼ばれた地域や「田舎」に住む人たちは、自らのコミュニティへの誇りを失っていきましたし、都市に住む人たちも「自立して、がんばれ!」のかけ声のもと、モノの豊かさを目指して「自立」していったかのように見えて、実は孤立化の道を歩んでいた、という「意図せざる結果」が起きたのが近代日本(特に戦後の日本)だったと考えるのです。もちろん、東北地方からの出稼ぎやその疲弊と、朝鮮半島からの、あるいは在日コミュニティからの収奪を同じ次元で論じることはできませんが、少なくとも構造的にはある特定の人たちからの物的・人的資源の収奪が近代日本の「豊かさ」を生んだ、とは言えるでしょう。そしてその収奪の構造は、いうまでもなく現在でも続いていることです。

 

 このような発展論的思考は、おそらく明治以降から少なくとも高度成長期までは多くの人たちにとって疑う余地もない「よきこと」だったのでしょう。ですから、わたしたちはそれを一方的に否定することはできません。なぜならば、それがわたしたちの現在の「豊かさ」をつくりあげたことは事実ですから。しかし、前世紀の終わりごろには、この価値観に疑いをもつ人たちが多く現れてきたように思うのです。誰もが「右肩上がりの時代は終わった」「このままではいけない」と思い始めました(例えば、環境問題の顕在化はそのいい例でしょう)。しかし、別の論理や価値観が見つからず、このままではいけない、と思いつつ、どうしたらいいのかわからない、という過渡期にわたしたちは生きているのではないかと思っています。このような社会、あるいは未来を生き抜くためのヒントが学美コミュニティにはありそうな気がする――これがわたしの関心です。

 かなり冗長な前置きになってしまいました。お許し下さい。ここで申し上げたかったことは、要約すると次のことです。

 

 

<要約>

現在の日本社会は、これまでのような拡大論的・進歩主義的価値観ではもはや前に進んでいけない状況にあり、さまざまな制度の賞味期限が切れかかっている。ある人びとは自尊心を失い、その一方で豊かになることに成功したと思った人たちは、気づいたらお互いの関係が断ち切られて、コミュニティを喪失し、孤立化の道を進んでいる。わたしたちはこれまでの「(モノの)豊かさ」を見直して、新しい「豊かさ」を生み出す必要があるが、まだオルタナティブな生き方が見つからず途方にくれている状況である。このような時代において、学美コミュニティは、わたしたちに新しい価値観と実践の方法を示す宝の山になる可能性を秘めているように思う。

 

 

 以上の基本的視点の背景は、別添資料の拙稿「おもい描く力」で述べておりますので、お時間がある時に目を通していただければ、上のわけのわからない記述が少しは理解しやすくなるかもしれません。

 

 

 次に、(ようやく!)この度の神奈川訪問で感じたことを、これまた思いつくままに述べさせていただきます。書き方として、「学生交流会」、「神奈川展」、「川崎市立学校児童生徒・神奈川朝鮮学生美術交流展研究会」の3つに分けて、それぞれに関する感想を書かせていただくという方法もありますが(おそらくその記述の方がオーソドックスでしょうが)、考えたことはそれぞれの複数のイベントにオーバーラップすることが多いので、3つのイベントを往復しながら、適宜「見出し」を掲げながらテーマ別に記述させていただきたいと思います。

文字通り、思いつくままに書かせていただきます。この文章全体の構成にはあまり配慮せずに書き続けますので、大変読みにくいであろうことを先ずお断りいたします(もう既に読みにくいですね…)。仮にもし、再びこれを外部に公表させていただくような機会を頂戴できるようでしたら、その際に改めて文章を推敲・編集させていただきます。今回は、とにかく皆様への「宿題」を年内に提出することがわたしの目標ですので……。これはたくさんのことを皆様から頂戴している者としての義務でもあり、責任でもあります。そして同時に、それ以上に、このようにして皆様と対話させていただける機会があることはわたしの愉悦でもあるのです。とにかく、このような対話は、たのしい、のです。

 

 

◇「ホーム」とか「コミュニティ」ということ

 

 今回の神奈川展は、先の神戸展に引き続きわたしにとっては2回目の学美展でした(審査会を除いて)。会場の広さと展示数の多さ(そしてもちろん一つ一つの作品の質の高さも)で迫力満点だった神戸展に比べ、神奈川展は相対的に小ぢんまりして迫力満点というよりも、まさに「ホーム」という印象を先ずもちました。作品一つ一つが非常に近く感じられ、そしてそれは作者の息吹や体温を間近に感じるような経験でもありました。神戸展が、ある意味、作品の力に対峙するような/対峙せねばならないような緊張感をもつ場だったのに対して、神奈川展は非常にほっとして安心する、身体がやわらかく溶けていくような感覚がありました(神戸展で、わたしが呉梨世さんのメッセージに向き合わざるを得ないような気持ちになったのは、神戸展における象徴的な出来事だったと、いま振り返ってみると思います)。

 

 神奈川展でそのような感覚を覚えたのは、おそらく会場の狭さ・天井の低さ、展示されている作品が密集している「人口密度」の高さなどという物理的な理由があるかもしれませんが、会場が美術館ではなく教育文化会館という、より「一般的な」場だったためかもしれません。あるいは、それよりも、この展示が民族学校の子どもたちの作品だけではなく、川崎の学校の子どもたちとの「交流展」であることが、そこに「ホーム」を感じた一番の理由かもしれません。そこには、いろんな子どもたちの作品が溶け合うような、あるいはそれぞれが響きあうような、ゆるやかな空気が流れているような気がしました。学美展で賞をとった立体作品が少なく、それよりも地元の子どもたちの作品をより多く展示していることも、そう感じた理由のひとつかもしれません。いずれにせよ、神奈川展の全体的な印象は、アット・ホームな、やさしい雰囲気です。来場者が包み込まれるような力をそこに感じました。

 

 その「ホーム」という感覚は、神奈川の学校での「学生交流会」に参加させていただいたときも強く感じました。その当日11/14は暴風雨で、「今日は本当に交流展が開催されるのだろうか」という危惧も若干抱きつつ、横浜の学校を訪問させていただきました。わたしが改めて申し上げることではないかもしれませんが、皮肉なことに、このような悪天候の日だったからこそ気づくこともありました。それは例えば、校舎の構造的欠陥などの物理的な問題です。床は水浸しで、湿気は壁をつたって流れ落ちていました。スリッパを履いていたわたしは幾度となく滑って転びそうになりなりました。改めて民族学校のおかれている社会的位置を実感した経験でした。

 

 このような物理的な大きなハンディキャップはありながらも、わたしが大きく驚嘆したことはまず学生さんたちの自己表現力の高さでした。具体的には、交流展で行われていた数々のプレゼンテーションにおける学生さんたちのプレゼン能力の高さや、体育館で行われた舞踊などのパフォーマンスにおける表現力の高さです。これには正直息を呑みました。

 

 自分たちの歴史を模造紙に書いて壁に貼り、プレゼンする、という方法自体は非常にオーソドックスですが、その発表力には驚嘆した次第です。どのような訓練を積んでいるのかはわたしにはわかりませんが、他者に対して自分を伝えるということのモチベーションが非常に高く、そしてそのための訓練を意識的に積んでいることは容易に推測できました。訓練を積んでいる、というのは、換言すれば、場数を踏んでいる、ということでもあろうかと思います。もちろん、全ての学生がプレゼンをしていたわけではなく、その役割を担っていたのは一部の学生さんでしょうが、プレゼンをしていない学生さんにもモチベーションの高さが感じられました。一般的に、このようなイベントでは往々にして少なからぬ「傍観者」がいるものですが、そのような人たちの存在がほとんど感じられなかったのも非常に印象的です。率直に申し上げると、あのようなプレゼンをできるのは大学生にもそうそういない、という印象です。

 

おそらく学生さんたち自身が「ごつごつ」した環境を生きてきて/生きざるを得ず、自分自身を問う機会が必然的に多いのではないか、とも推測します。そのような動機付けの蓄積が、自己表現力に結びついているのかもしれません。

 

 また、プレゼンの訓練にも関心があります。どのような具体的な訓練(教育)によって、プレゼン力をつけているのでしょうか。その具体的な方法は私には今のところわかりませんが、推測できるのは、そこには「実践コミュニティ」の力が働いているのではないか、ということです。実践コミュニティというのは人類学の概念なのですが、乱暴に定義してしまえば「門前の小僧習わぬ経を読む」的なコミュニティのことです。つまり、そこのメンバーでいると、気づいたらいつのまにか、あることが(うっかり)できてしまうようになるような「つながりのあり方」のことです。そのコミュニティにおいては実践知がとても重要で、その知は本に書かれたようなものではなく、生きた身体に宿っている、実践的な知です。ともすると、わたしたちは、教室の中で本を読んで、そこから効率的に「役に立つ」知識を得る、という直線的な発想をしがちかもしれませんが、この実践知や実践コミュニティという考え方が提起しているのは、わたしたちは知識を操作しているのではなく、知識を生きている、という視点です。

 

このような視点をちょっと導入して考えてみると、もしかしたら民族学校の学生さんたちは、(そしてもちろん先生方も!)、具体的に規定されているカリキュラムの他に、明文化はされていないけれどもメンバーにとっては非常に重要な実践コミュニティの中を生きていて、それがそのメンバー全員にとってのアイデンティティや生き方そのものを形づくっているような気がします。かなり抽象的な感想・推測ですが、このような印象をもちました。

 

実践コミュニティは、必ずしも近代的で直線的な、効率のよい学びの場ではありませんが(だから、即効性を求める人からは「それっていったいなんの役に立つの?」と聞かれがちな学びのあり方でしょう)、その場に居つづけることによって、気づいたら「一人前」になっていた、ということが起きるのです。その学びに重要なのは、とにかく「参加し続ける」ということと、「身体をもって学ぶ」ということです。再び乱暴に申し上げると、頭で仕入れた知ではなく、個人の身体の中に刻み込まれた知の方がはるかに有効であり、かつより柔軟にその時々の状況の変化に対応していきながらさまざまな実践を生み出していける、ということです。

 

この実践コミュニティの確実な存在を、わたしは(ごく短い最近の経験からではありますが)学生交流会や学美展の中に発見しつつあるように思います。ちなみに、以前の感想で述べた、呉梨世さんの作品に見る「ヘッドライト型知性」や学美展がもつ「社会関係資本」というわたしにとっての「発見」は、基本的に今回述べていることと同様かもしれません。つまり、この文章の冒頭の記述と重なりますが、おそらく学美コミュニティは、おそらく近代日本が性急な近代化を追究するあまり軽視(あるいは破壊)してきた、身体に刻み込まれる実践的知識、そしてそれを生み出す土壌である実践コミュニティのあり方や社会関係資本という財産を確実に内包していると思うのです。なぜならば、それは民族学校が(意識的になのか、あるいは無意識的にかはわかりませんが)その重要性を見失わず、そのような実践的知を大切に長い時間をかけて涵養してきたことの結果だと思います。

 

 そして、大変逆説的なのは、近代日本がこれまで排除し、かつ収奪してきた在日コミュニティから、この日本社会自身が学ぶべきことを(再)発見しつつある、ということなのではないか、とわたしは考えるのです(もちろん、その重要性が果たしてどれほど広く人びとの間で共有されているのか、というのは全く別の問題ですが)。

 

 神奈川の交流会では、昼食をソン先生とカン先生と体育館でご一緒させていただきました。そこでわたしが見たのも、非常に大きな「ホーム」の存在でした。過剰な表現ではなく、そこでも学校全体があたかも大きなひとつの家族であるかのような強い印象を受けました。先生方と生徒たちとの接し方、会話、触れ合い方からもそれは強く感じましたし、また先生方同士の関係のあり方からも、それを感じました。換言すれば、そこはわたしにとって初めて訪れる場でありながら、非常に「懐かしい」という感覚に陥りました。私の魂に響いた、とでもいえるでしょうか。まさに、ここはホームである、という感覚です。みなさんが、身体をもって向き合い、対話し、ふれあい、育てあう空間がそこにはあり、そしてそうやって育てられた者が次第に、気づいたら、次の世代を育てている、というコミュニティ――実に不思議な感覚でした。もちろん、身体をもって他者と向き合う、ということはユートピア的なことではなく、実にこわい経験です。他者は基本的に恐ろしい存在ですから。しかし、そのような他者との向き合い方を丁寧に育み、人を育てていくコミュニティの存在を強く感じたのです。

 

 

◇わたしを超えてゆけ

 

 このような実践コミュニティの存在をより具体的に突きつけられたのが、神奈川展の直後に開かれた「川崎市立学校児童生徒・神奈川朝鮮学生美術交流展研究会」の場でした。その研究会は川崎の小学校の先生の墨絵の教育に関する発表と、南武のムン・ジニ先生のコラージュ授業の導入に関する発表がありました(どちらも非常に興味深い研究報告だったのですが、年に1度のことで、しかも限られた時間内での報告・議論であったことがとても残念でした)。

 

 ムン先生のご報告の詳細はここでは割愛させていただきますが(おそらくみなさんご存知?でしょうから)、それは非常に興味深く刺激的で、報告を聞き終わった後のわたしの最初の感想は「わたしが子どものころにこの授業を受けたかった!そうしたらわたしはきっと違う人生を歩んでいただろう」ということでした。と同時に、ムン先生の子どもたちに対する深い愛をも痛感するとともに、子どもたちに対するムン先生の「わたしを越えてゆけ」という無言の強いメッセージをも感じ、「ある意味、これはこわい授業である……」という印象をもったのも事実です。それらも全て含めて、わたしもこの授業を受けたかったなぁ、と思ったのです。

 

 ムン先生の試みは、わたしは「自己解体と自己再生の繰り返し」の試みであると思いました。このようなことを、まさに身体をもって実践してしまうことが、子どもたちの世界観を一変させるようなわくわくする試みであると同時に、子どもたち自身が己がこれまでもっていた世界を対峙せねばならないというこわさがあると思ったのです。しかし、対峙のない乗り越えはありませんし、こわさのない楽しさというものはそもそもありません。このような点で、子どもたちは(本人たちはどう思っているかわかりませんが)非常にいい貴重な経験をしているなぁ、とうらやましく思ったのです。

 

 ムン先生は、まず、リズムに合わせて声を出しながら子どもたちにクレヨンで思いっきりスクリブルをさせます。そして、「せっかく」力強く描いたその作品を本人たちに破らせます。この瞬間に子どもたちの強い抵抗が芽生えるのは想像に難くありません。しかし、さまざまな仕掛けを用いて子どもたちにそれを破かせ、そしてそのハードルを越える先に新たなおもしろさが待っていることを実感させ、次にコラージュにもっていき、新しい世界を築かせる、という手法は研究会で聞いているだけでもわくわくするものでした。ですから、実際に授業を見たみたい、というよりも、受けてみたい、と思った次第です(わたしが子どもたちと一緒に叫びながら紙を破っていたらそれこそ異様な光景でしょうが)。

 

 わたしはよく自分の講義で「思い切って頭のネジを1~2本外したらいいよ」ということを学生に言っては彼らに不審がられています。わたしは、近代人というのは、過剰に締めすぎたネジを何本か頭の中にもっているように思うのです。もちろん「大切なネジを外せ」ということではなく、自分がこれまで大切だと思っていたが、よく考えればそれを締めているがゆえに気づかない大切なことは以外にたくさんあるわけで、ムン先生の試みはこれをずいぶん共通点があるように思いました。わたしたちが無意識に占めすぎていたネジを緩めたり外したりすることが、この時代におけるアートの重要な役割のひとつではないかとわたしは思うのです。

 

 ムン先生が、ある意味「無謀な」この試みをすることが可能であるのは、その背景に子どもたちのムン先生に対するゆるぎない信頼があるからだと思います。「上手な絵」など描こうと思わないこと、どんな作品でも「失敗」などということはない、最後まできちんと自己表現すること、「あなたたちは大丈夫だ。楽しみにしている」というメッセージをことばできちんと伝えること――このような数々の実に厚みのある支え(=愛)によって、子どもたちは思い切って、戸惑いながらも、泣き叫びながらも、チャレンジできているのではないか、と思います。そしてそれは他の誰でもない自分自身へのチャレンジであることが重要なのでしょう。わたしが「子どものころにこの授業を受けたかった」(今でも遅くはない?)と考えるのは、他者(特に教師)からの評価に応えるために何かをつくるのではなく、子どもたちが自分の世界観やさらには自分自身を乗り越えていくために教師が徹底的にそれを支える、という実践のあり方をそこに見るからなのです。そしてそれは身体に刻み込まれた知である以上、確実な財産となって子どもたちに残ると思うのです。そして、繰り返しますが、そのような知性のあり方こそ、これからの社会を生きていくために重要なものだと思います。

 

 さらに興味深いのは、この実践の構造が、「教える者―教えられる者」という固定的・安定的な関係にもとづくものではなく、「教える者」である人間自身が実は常に自己を振り返りながら、戸惑いながら、「教えられる者」たちから逆に学びながら、「未完のプロジェクト」である教育実践を繰り返していることだと思います。近代社会は、おそらく、直線的で、固定的で、安定的で、効率的な学びを追求してきましたし、目指す社会もそのようなイメージのものであっただろうと思います。そして人びとのアイデンティティも、規範的であって、安定的なものを目指してきたのかもしれません。しかし、現実にこの時代に私たちに求められていることは、実はそのような実践のあり方ではなく、不断に続く再構成のプロセスであり、反復し続けるという(ある意味)非常に不安定な過程で、その都度その都度、構成しなおしていくような実践、生き方、アイデンティティなのかもしれません(=ヘッドライト型知性)。このような点でも、必ずしも権力者(=教師)の評価を前提とすることなく、むしろその「評価」自体を相対化しながら、「ここ」における自分のアイデンティティや「豊かさ」あるいは「幸せ」の形を再構築し続けるような実践の基礎を、ムン先生の試みの中にみた思いがします。

 

 以上は、やや大げさな解釈に聞こえるかもしれません。あるいは的外れな感想かもしれません。しかし、わたしは、このムン先生の研究報告の中に、そのような実践の確実な萌芽を見たと思っています。

 

 そして、おそらく言うまでもなく、以上のような実践の可能性はムン先生ご自身の中に実在しているわけではなく、ムン先生ご自身がさまざまな実践コミュニティの中で育てられてきた、ということも重要な点でしょう。気づいたら、うっかり、ムン先生はこのような実践を試みる存在になっていた――この背景には、非常に厚みのある学美コミュニティが存在しているはずです。ある者があるコミュニティへの絶え間ない参加を繰り返すことによって「一人前」になっていく、そしていつの間にかその者が新しい者たちに対して身体をもって鍛える存在になる、しかし実は鍛えているように見えるものも鍛えられているものから鍛え返されている――このような不断の相互の関係性が学美コミュニティには内在しているように思うのです。ですから、わたしは今回は(幸運なことに)たまたまムン先生のご報告を拝聴する機会があり、以上のようなことを考えましたが、実は学美コミュニティには数多くの<ムン先生>たちが存在するはずです。ですから、わたしの上の感想は必ずしも具体的なムン先生一個人に対するものではなく、学美コミュニティが生み出している数多くの<ムン先生>たちに対するものだと思っています。その意味でも「学美おそるべし!」との認識をさらに強くする次第です。

 

 

◇厳しいやさしさ、やさしい厳しさ

 

 上のこととも関連しますが、わたしがこの一連の経験で考えたことのひとつに、「厳しいやさしさ」と「やさしい厳しさ」というものがあります。これは、わたしの先輩でもある森真一という社会学者の言葉です。「やさしい厳しさ」というのはかつての日本社会にあった対人関係の作法のことです。つまり、「このままではお前はダメだから、お前のためを思って忠告しているのだ」という対人関係のことです。そこには、相手と向き合おうとする意思と姿勢が強く、相手に向き合えばそこには多少傷つけあうことは当然視されています。重要なのは、人が人と向き合えば傷つけてしまうことは必然なのだから、それをいかに修復するか、ということでもあります。ですから「やさしい厳しさ」は「治療としてのやさしさ」とも言われます。わたしが学美コミュニティから感じる愛の力はこれです(=「わたしを乗り越えてゆけ」という大きな、厳しく、やさしい愛)。

 

 一方、「厳しいやさしさ」とは現在の日本社会に蔓延している対人関係の技法のことで、相手をいかに傷つけないかということに過剰な注意を払い(つまり自分が傷つきたくないということ)、そのために相手にも「優しくしなければ承知しないぞ」とでも言わんばかりの「やさしさ」を強要しているのではないか、ということです。これは「予防としてのやさしさ」とか「自己完結的やさしさ」とも言われます。互いに傷つけないことが大前提であるので、友人とも「重い話」はしないし、過剰なまでの気遣いで友達と一緒にいると気疲れしてしまう、ということもわたしの周りの大学生にはよくみられるようです。

 

 このような人間関係の営みは、若い人に顕著にみられると思いますが、これは必ずしも彼らに責任があるのではなく、時代の産物だとわたしは思います。だからといってこれでいい、とはわたしは必ずしも思っておらず、いろんな意味で閉塞状況にあるこの社会の新しい構想を練っていくためには、身体をもって他者と向き合うこと、信頼関係を伴う対話をすること、そしてそれによって従来の枠組みを相対化したり、オルタナティブな発想を創出していくことが大切だと思うのです。相手に対する十全な信頼があれば、人間はお互いに鍛えあえますし、遠慮なく議論ができますし、困難を乗り越えていくことができるでしょう。このような可能性をも、わたしは学美コミュニティにみるのです。ただし、「自己完結的やさしさ」を身上としている人にとっては、先のムン先生の授業はやはり「おそろしい」授業に思えるかもしれません。

 

 

◇「弱さ」のジャンプと自立

 

 書けば書くほどいろいろ申し上げたいことが出てきて、つい長くなってしまいました。すいません。最後に「弱さの強さ」について申し上げて、終わりにしたいと思います。

 

 この概念も実はわたしのことばではないのですが、好きな視点なので、わたしの学美での経験とも絡めつつご紹介したいと思います。これは、情報論などを専門とする金子郁容という人の言葉です(そもそも、そのオリジナルはおそらく金子さんではなく、ネットワーク論を研究していたアメリカのグラノヴェターの「弱い紐帯の強さ」という研究あたりかな、と推測していますが、ここでは細かい事実関係は保留させてください)。新しい発想やボランタリーな生き方やなどは全て従来の社会的価値の中では「弱い」とされます。しかし、それは、それまでは「強い」ことがよいこととされてきた従来の価値観で考えれば「弱い」ということであり、その「弱さ」こそが新しい価値を生み、ジャンプできる強さに転換されうるのだ、という考え方です。通常の考え方では、「問題」を解決するのは「強いもの」と思われてきましたが、無数の事例から浮かび上がることは、「弱い」者からの自発的な動きによって思ってもみなかったプラスが生じることがあるということです(すいません、具体的な事例はここでは割愛します)。社会全体としてみれば、「弱い」立場からの自発的な問題解決の可能性があることが既に明らかになっています。それは新しいリソースや価値が社会に追加されるということです。強いものが「問題解決」を担当し、「弱いもの」はその恩恵にあずかるだけ(あるいは排除されるだけ)という単純な構造はもはや賞味期限切れだとわたしは考えます。

 

 ただし「弱さ」が強さに転換されるには、それを可能とする環境が必要です。それは「信頼のコミュニティ」です。互いの信頼関係の中でそれぞれが自発性によって協力的な態度をとることによって、双方が救われ、そして社会全体にとって意味があることが生まれる、という経験は共同知としていろんな社会で既に蓄積されています。おそらく、もしかしたらはっきり言語化はされていないかもしれませんが、在日コミュニティや学美コミュニティ、あるいはアートの世界では、既にこのような具体的な事例がたくさん蓄積されていることでしょう。実際にわたしがこの短い期間で拝見したことも、このような「信頼のコミュニティ」における「弱さ」の「強さ」への転換のあらわれだと思います。

 

 近代の日本は「強い個人」に価値を置き、人びとに「人に頼らない自立」を求めてきました(もちろん日本だけではありませんが)。しかし、そのような「自立」を追い求めてきたわたしたちは、それはイメージでしかなく、結果的に人びとは孤立化の道を歩んできたということに気づいてしまったのだと思います。わたしたちがいま必要としている別の形の「自立」は、他人に頼って迷惑をかけないでなんでも自分ひとりでやること、という形の自立ではなく、自分が頼れる信頼のネットワークをできるだけたくさん作り出すこと、という形での自立なのではないでしょうか。一見逆説的かもしれませんが、自分が頼れるネットワークをたくさんもてば持つほど自立している、というのは理屈でも明らか過ぎることだと思います。なぜならば、このようなネットワークの中に生きる人は、自分が弱くなっても倒れずに済むからです。わたしは、このような、別の形の、新しい自立のかたちをも、学美コミュニティに見るような思いがします。

 

 

 

 

 以上、長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方には、このようなまとまりのない文章を読んでくださったことに対して申し訳ないと恥じ入ると同時に、感謝申し上げます。ありがとうございました。

 学美コミュニティは、二重の意味で大変興味深いと思っています。ひとつは、在日コミュニティあるいは民族学校というコミュニティという視点で、従来は「弱い」とされてきた存在こそが人の魂と共鳴することを生み出すことができ、オルタナティブな価値観や生き方・人間関係のかたちを提示でき、それから実は「わたしたち」は大いに学べるのだ、という点です。もうひとつは、アート集団であるという点です。昨今の事業仕分けの議論とも深く絡みますが、一般的には「なんの役に立つの?」とか、「贅沢なもの」「一般の人には理解しがたいもの」と思われていたアートが、この混迷の時代において、人びとに新しい価値観を創出するツールになるのだ、という点です。しかしながら、事業仕分けからも明らかなように、そのような「弱さの強さ」の力や可能性は(一部の人には)明らかに認識されているにもかかわらず、いまだに「強い」人たちには理解されていない、というこの社会の貧困さも露呈されています。

 

 このような、どうしても生きなければならないこの時代・この社会を生き抜く(そして、できたら、より、たのしく、生き抜く/息ぬく?)ための光り輝くヒントが学美コミュニティには、以上のような二重の意味で内包されていると思うのです。これが、この文章の最初でも述べた、わたしの基本的な視点です。それは「おれももうちょっとちゃんと生きよう」という素朴なわたしの決意でもあり、わたしの魂と交響するような経験でもあります。

 ただ、それでもやはり気になることは、学美のことのみならず、「在日」という存在についてもまだ日本社会はあまりにも知らなさ過ぎる、という基本的な問題です。そして、やはり、学美コミュニティはもっと世に知られるべきだ、と改めて思うのです。このコミュニティがもう少しだけ外に向かって開かれたら、おもしろいことになりそうな気がします。

 

 

 以上、くどくどと述べてきましたが、もしかしたら、もしかしたら、上の「二重の意味」はわたしの社会学者としての存在意義を証明するための「あとづけ」に過ぎず(つまり、カッコつけているだけで)、わたしは素朴に学美と関わることが楽しい――わたしにとっての意味は実はこれだけなのかもしれない、と、いま、思ったりしました。

 

 

 以上、本当に今回はこれで終わらせていただきます。ここに書かせていただいたことは、わたしがみて、触れて、感じたことだけが論拠ですから、誤解していることが多々あろうかと思います。皆様の忌憚のないご批判などを賜ることができましたら、本当にうれしく存じます。

 

 

 2009年のすばらしい出会いを本当にありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 2010年も皆様にとってすばらしい年になりますように、心からお祈り申し上げます。

 

 

以上。

 

 

2009年12月27日

仲野 誠