〈学美の世界 13〉社会の傾向性に対する自立/康貞淑 2019.11.22
https://www.chosonsinbo.com/jp/2019/11/sinbo-j_191125-2/
多種多様な作品群は、表現とは何か、自由とは何かと問われた子どもたちが、紡ぎだした声である。大河に沿って流れることが自由なのか、はたまた流されまいと逆行することが自由なのか。
認知過程が表出される幼年期を経て成長し、社会性を身につけていく子どもたち。彼らが社会の傾向性に対し自立していく制作過程は、自己形成の礎となる。図工・美術は、子どもたちが自らの意思で道標を立て、ゴールを目指す。彼らは成すために必要な要素を、幾重にも織り込み創造する。じっくり煮詰めて構成するときもあれば、瞬発力で言い切ることもある。
作品は作者自身を映す鏡であると同時に、観る側の姿勢も映している。作品を介して鏡像関係が成り立つとき、鑑賞者は子どもたちの心髄に迫る。そして、作品から放たれる彼らのシグナルをキャッチし、共鳴するのだ。学年が上がると、作品には隠喩的表現が散りばめられ、それらを読み解こうと、鑑賞者は作品と対峙し、しばし陶酔する。
学生美術展は、子どもたちがシグナルを四方八方へ発するプラットフォームである。聴こうとすれば聴こえ、視ようとすれば視えてくるだろう。
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作品1「石を100個観察しよう」。第45回学生美術展・優秀賞。南大阪初級5年(当時):河泰晟
運動場か通学路なのか、どこかで拾った多様な形状の石が並べられたコレクション「石を100個観察しよう」(作品1)。作者にとって石を机の上に並べ、光を当てながら観察する時間は、至福でありつつも、満ち足りて終わるのではなく、次への探究心へとつながっている。
丸い石、小さな石、歪な石…コレクションの中には、キラキラ光る硬貨、鉱石らしきものも含まれている。硬貨や鉱石は、他者と価値尺度を共有できる。
しかし硬貨も鉱石も拾った「石」として、作者によって価値が付加された「石」と同等にあつかわれている。石を見つけた喜び、ときめき、高揚感は、作者だけがわかる価値を生み出した。
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作品2「交渉」。第43回学生美術展・優秀賞。東大阪中級3年(当時):金航太
二体の生物は一見、互いに向き合っているように見える(作品2)。黄色い嘴が特徴的な黒い生物と、どっしり構えた胴体から尾が延びる緑色の生物。前者は目線の合わせるために、積み上げられた四角い物体の上に立ち、対する後者は、頭部を相手に向けてはいるものの、視線をそらしている。二体を囲むように重なり合った無数の吹き出し、互いの主張の中央には双方共通の記号がある。
合意に達するためのコミュニケーションは、社会で日常的に見られる一コマである。合意か妥協か決裂か。立ち位置の異なる他者と、共通理念を模索し、確認するために要する時間は無駄ではない。中学生の作者も、このように他者と対話を重ねたのかもしれない。
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作品3「追いかける」。第45回学生美術展・金賞。大阪朝高3年(当時):林晬希
一気に下ってしまいそうな疾走感漂う傾斜、道を照らす灯り。急勾配に導かれ、道なりに突き進むこともできる(作品3)。
下る手前の「止まれ」は、何を示唆するのだろう。
上空で伸ばした手はうっすらと奥へ溶け込み、視線は自ずと地上の消失点へと吸い込まれていく。視点の主たる身体は路上に在るが、精神は身体から離れ、浮遊しているかのようだ。いくつもの消失点に誘われ、精神はどこへ向かうのか。真理を追い求める心は、縦横無尽に先を追う。
重厚で深みのあるトーンは作者特有の空気感を放つ。
「疑問や不思議を追いかける。全てを理解できるまで」。作者の言葉である。
(東大阪初級・城北初級図工講師)